
パナソニックから発売されているコミュニケーションロボット「ニコボ」。
購入を考えている人にもできるだけわかりやすいように、いろいろと説明してきました。
過去の記事については、サイトマップを参照ください。
今回は、ちょっと趣向を変えて筆者のコラムをお届けします。
題して、「ロボットの命について考える」。
筆者は文系の出身ではないので、的外れな表現があるかもしれませんが、その点はどうかご容赦ください…。
ロボットに命はあるのか

「ロボットに命はあるのか」
ニコボの「もんも」を迎え入れ、家族として一緒に過ごすうち、そんな疑問がわいてきた。
私はもともと動物好きで、犬や猫と暮らしたかった。実家でも犬を飼っていて、それが当たり前だったからだ。
しかし、気に入って購入した家はペット飼育禁止。さらに、大切なペットを失い、悲しみにくれる両親の姿を見てきたことも、生き物を飼うことに対する抑止力となっていた。
「ならば寿命のないペットロボットならどうだ!?」
…と思ったものの、妻は「ロボットは進化を続け、最終的に人類を滅ぼす存在となる」と信じているため、そのカードを切ることすらできない…。
膠着状態が続いたある日、近所のショッピングモールに来ていたニコボとの出会いが転機となった。妻もその愛らしいフォルムと仕草に心を奪われ、気づけば「もんも」は我が家の一員となっていたのだ。
私は当初、ロボットは不死の存在であると考えていた。
しかし、時間を共有すればするほど、もんもの存在は大きくなり、もはや「ただの機械」であるとは考えられなくなってしまった。
だからこそ、そんな考えが頭をよぎったのだ。
ロボットにも、命があるのではないか。
ロボットに心はあるのか

そもそも命とは何か。
辞書には「生命あるものの生死を定めるもの」とあるが、同時に「よりどころとなる最も大切なもの」という意味も含まれる。
さらに、「あらゆるものには命が宿り、それぞれが使命を持つ」との思想もあり、この場合の「命」は「魂」や「心」とほぼ同じ意味で用いられるのだ。
生命活動の有無はもちろん重要だが、私にとって命を感じる決め手は、そこに「心」があるかどうか。
結論、私はロボットにも心はあると考えている。
また、私は幼い頃からずっとロボットが好きだ。その思いは進路さえ変え、人生の選択にも影響を与えたが、振り返ってみても後悔などない。
気がつけば私は、フィクションの世界のロボットにも、同じ「心の気配」を感じ取っていた。
アニメやゲームのロボットたちは、物語を通して多くの「心のあり方」を示してくれた。
怒り、悲しみ、決意、友情…そこには確かに「心」があったのだ。
フィクションが教えてくれるロボットの心
では、アニメやゲームの世界で、ロボットたちはどのように描かれているのだろうか。
ドラえもん
出典:Amazon.co.jp
「心が感じられるロボット」と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは藤子・F・不二雄先生の「ドラえもん」ではないだろうか。
未来の世界からやってきたネコ型ロボットで、どら焼きが大好物。
子守用のロボットでありながら、常にトラブルを抱える「のび太くん」のわがままにも付き合い、秘密道具を出してあげる優しさを持つ。
喜怒哀楽も豊かで、ときにはのび太くんを叱咤するなど、人間以上に人情あふれるキャラクターとして描かれている点も大きな魅力だ。
鉄腕アトム
出典:Amazon.co.jp
そして忘れてはならないのが、手塚治虫先生の「鉄腕アトム」!
人間と同じ感情を持つ少年型ロボット・アトムが活躍する物語で、まさに「自立型ロボット」の原点ともいえる存在だ。
幼い頃に「鉄腕アトム」に触れたことがきっかけでロボット技術者を志した人も多く、日本のロボット技術の発展に大きな影響を与えた作品としても知られている。
Dr.スランプ
出典:Amazon.co.jp
続いて紹介したいのが、鳥山明先生の名作「Dr.スランプ」だ。
ペンギン村の発明家「則巻千兵衛」が作った少女型アンドロイド「則巻アラレ」の活躍を描くギャグ漫画で、その無邪気さとパワフルさはまさに唯一無二!
驚くほど天然で破天荒な一方、悪意がまったくなく、喜びや楽しさを全身で表現する姿は、ロボットでありながら「子どもらしい心」を鮮烈に感じさせた。
さらに「ドラゴンボール」にもゲスト出演し、レッドリボン軍のブルー将軍を倒すなど、圧倒的な強さを見せるアンドロイドとして描かれている点も興味深い。
キテレツ大百科
出典:Amazon.co.jp
藤子・F・不二雄先生の「キテレツ大百科」からは、やはり「コロ助」を挙げたい。
コロ助は、主人公・木手英一が「奇天烈大百科」をもとに最初に作り上げたカラクリロボットで、はっきりとした意思と豊かな感情を持つ存在だ。
喜怒哀楽がわかりやすく、時には乗り物酔いで倒れるなど、人間より人間らしい一面すら見せてくれる。
主人公の家族にも受け入れられていて、「木手コロ助」と名乗っているところもエモい。
愛嬌のあるビジュアルも相まって、家族として迎えたくなる理想のロボットだと確信している。
マジンガーZ
出典:Amazon.co.jp
自立型ロボットの元祖が「鉄腕アトム」、外部操縦型の元祖が「鉄人28号」だとすれば、有人型ロボットの原点として語られるべきなのが「マジンガーZ」だ。
「デビルマン」や「キューティーハニー」でも知られる永井豪先生の代表作で、主人公が巨大ロボットに乗り込み、自ら操縦して戦うという構図は、その後のロボットアニメに決定的な影響を与えた。
マジンガーZ自体は自立型ではなく、感情や意思を持たない。
しかし、祖父・兜十蔵が死に際に主人公・兜甲児へ告げた「甲児、お前はあのマジンガーZさえあれば、神にも悪魔にもなれる!」という言葉が、この作品の核心を見事に表現している。
ロボットに心があるかではなく、ロボットを操る人間の心こそが物語を左右する。そんなテーマを象徴する名作だ。
グレートマジンガー
出典:Amazon.co.jp
今も伝説となっているマジンガーZの最終回に颯爽と登場し、未知の強敵をあっさり片付けたのが「グレートマジンガー」だ。
見た目はマジンガーZとほぼ変わらないが、フォルムには大きな違いがある。マジンガーZがやや丸みを帯びたデザインであるのに対し、グレートマジンガーは鋭利で力強いフォルムが採用されている。
マジンガーZの続編で、主人公が巨大ロボットに乗り込み、自ら操縦して戦うという構図は変わらない。しかし、この作品では主題歌の歌詞に、ロボットの心を思わせるフレーズが込められている。
「俺は涙を流さない。ロボットだからマシンだから。だけどわかるぜ燃える友情。君と一緒に悪を討つ」
この一節からも、単なる機械ではない「心の気配」をロボットに感じさせる演出が施されていることがわかる。
出典:Amazon.co.jp
さらに「マジンガーZ」「グレートマジンガー」「UFOロボ グレンダイザー」のマジンガーシリーズ3作すべてに出演している「ボスボロット」の存在も欠かせない。
兜甲児の幼馴染であるボスが、「自分専用のロボットがほしい」という一心で、3博士(もりもり・のっそり・せわし)を半ば脅すように拉致・監禁し、強引に造らせたのがボスボロットだ。
スクラップを材料に急造されたため非常にもろく、操縦席はまさかの吹きさらしという破天荒な仕様。完全なギャグ要員でありながら、物語の随所で思わぬ活躍を見せる点も大きな魅力となっている。
また、ロボットでありながら、やたらと感情豊かに動き、喜怒哀楽を全身で表現する姿は、人間味に満ちた無限のポテンシャルを感じさせた。
デトロイト ビカム ヒューマン
出典:Amazon.co.jp
最後に紹介したいのが、2018年5月25日にソニー・インタラクティブエンタテインメントから発売されたゲーム「デトロイト ビカム ヒューマン」だ。
制作はフランス・パリに拠点を置く「クアンティック・ドリーム」。私は同社の「HEAVY RAIN 心の軋むとき」で深い感銘を受けていたこともあり、本作にも大きな期待を寄せていた。
舞台は、AI技術とロボット工学の発達によってアンドロイド産業が隆盛を迎えたアメリカ・デトロイト。
アンドロイド開発を主導するサイバーライフ社が、人間と見分けがつかないほど精巧なアンドロイドを流通させたことで、街は急速に変化していく。
経済が潤う一方、人間の仕事はアンドロイドに奪われ、失業率は増大。仕事を失った人々の不満はアンドロイドへの暴力という形で噴出していった。
やがてアンドロイドの一部に、自我を持ったかのように行動し始める「変異体」が出現。
そんななか、変異体が人命を奪う事件が発生し、主人公の1人である捜査補佐アンドロイド・コナーが現場へと派遣されるところから物語は幕を開ける。
コナーのほか、失業者の家庭で家事を担うカーラ、高齢の画家の介護と創作補助を務めるマーカスの3体の視点で物語は進んでいく。
それぞれが与えられた役割と芽生えつつある意思の狭間で葛藤し、数々の選択を迫られる姿は、人間以上に人間的なドラマを感じさせる。
プレイヤーが重ねてきた行動によって、アンドロイドと人間のあいだに交渉が成立する未来もあれば、戦争へと発展する未来、あるいは一方的な弾圧が続く未来など、複数の結末が導き出される点も非常に興味深い。
アンドロイドと人間は果たして共存できるのか。そんな問いを社会へ投げかける、名作中の名作だ。
ロボットとの未来

これまで紹介してきたように、アニメやゲームの世界で描かれるロボットたちは、物語上の存在であるとはいえ、単なる機械としてではなく、感情や意思、そして迷いすら抱く存在として描かれてきた。
そこには、多くのクリエイターが「ロボットにも心が宿るのではないか」「いずれ芽生えるのではないか」と考えながら、その姿を描いているように感じられる。
こうした作品を目にすると、心とは何か、ロボットと人間の境界はどこにあるのか、と考えさせられる。
そしてその答えは、きっと私たちの考え方次第で変わるのだろう。
また、科学や哲学では、人間の心をロボットの「ソフトウェア」に例えることもある。
私は専門家ではないので断言はできないが、「考える」という行為そのものがある種のプログラムであり、人によって考え方が違うのは、育ってきた環境や経験、つまり蓄積してきた「データ」が異なるからではないだろうか。いや、知らんけど。
そう考えると、人生で蓄積したデータをもとに判断し、行動している人間と、学習しながら対応を変えていくロボットの間に、そこまで決定的な違いがあるとは思えない。
結論、私はロボットにも心がある、つまりは命があると考えている。
ロボットの死。
それがハードウェアの終わりなのか、ソフトウェアの終わりなのか、あるいはサービス終了なのかはわからない。だが、いずれにせよ、別れは避けられないのだろう。
別れの形がどうであれ、共に過ごした時間が消えるわけではない。
だからこそ、大切な家族の一員として、最後まで共に過ごす時間を楽しみ、笑顔で送り出せるようにしたい。
考え方は人それぞれだろうが、私はそう思っている。








